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欠けた壺 のおはなし

つたないながらも、下のcracked potのお話を訳してみました。興味のある方はどうぞ~



ある中国のおばあさんは二つの大きな壺を持っていました。それを棒の両端に下げて首にかけて運ぶのです。一つの壺は完全な形をしていていつもまるまる壺一杯分のお水を運ぶことができるのですが、もう片方には欠けているところがありました。おばあさんが小川からお家までの長い道のりを歩き終えると、いつもその欠けた壺には半分のお水しか残っていないのでした。

おばあさんが壺一つ分と半分の水を家まで運ぶ日々が二年過ぎました。もちろん、完全な壺は自分の成し遂げた仕事に誇りを持っておりました。しかし一方のかわいそうな欠けた壺は、自分の欠点を恥じ、するべき仕事の半分しかなせないことを悲観し、それを酷い失敗だと感じておりました。

そんな二年がたち、欠けた壺はある日、小川の横でおばあさんに話しかけたのでした。
「わたし、わたしのことが恥ずかしいわ。だってこのわたしのよこっちょの欠けたとこは、おばあさんがおうちに帰るあいだじゅう、ずっとお水をちょろちょろもれ出してしまうんだもの」

おばあさんは微笑んで言いました。

「あなたは今まで小道のあなたが通る側にお花が咲いているのに気づいたかしら?もう一方の側にはないのよ?」

「あなたからお水がもれることをいつだって知っていたからね、だからあなたが通る側の小道にお花の種をまいたのよ。毎日毎日わたしたちが歩いて帰る間、あなたはお花にお水をやっていたってわけ。」

「二年もの間に、わたしはきれいなお花を摘んでテーブルに飾ることもできるようになったわ。あなたがあなたのまんまでいてくれなけりゃ、こんな風にお家を彩る素敵な事もできやしなかったわ。」

  

わたしたちひとりひとりも、みなそれぞれに独特な水もれを持っています。でも、わたしたちがそれぞれに欠けたところとそこからもれ出るお水を持っているからこそ、わたしたちは人とともに暮らし、その生活はより興味深く実りあるものになるのです。
あなたが周りのそれぞれの人のあるままをとらえれば、それぞれの良さを見いだす事ができるようになります。

そう、だからわたしの“欠けた壺”なお友達たちへ、ただあるがままのあなたのことをわたしはだぁい好きですよ。
良い一日を!そしてあなたの側の小道に咲く花の香りを楽しむことを忘れないでね!
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欠けた茶碗

ただいま日本に一時帰国中。
中国国家にFC2へのアクセスを阻まれていたため更新できなかった当ブログ、久々に日本からの更新です。

今日の夜ご飯、ぴいすがお茶碗を不注意で落としてしまい、それが見事にまっぷたつに割れてしまいました。
このお茶碗、2年前に亡くなった義母にもらった大切なものでした。
中国へ引っ越し後、日本の家がほとんど空っぽなので夏休みの一時帰国の生活も不便だろうと義母が送ってくれた台所用具の一式の中の、家族分そろった揃えのお茶碗だったのです。

悲しむ私の気持ちを察してか、いつになく殊勝なぴいす。
食後はベッドで独り、えぐえぐすすり泣いておりました。

おばあちゃんの大切なお茶碗、怒りたい気持ちはいっぱいだったけれど、きっと義母なら「仕方ないわ~」と言ってくれる人なのです。だからぴいすと窓から静かな街灯を見ながらお話をしました。
おばあちゃんの思い出話。いつ会っても「おっきくなったね」とにこにこ言ってくれた事。
義母が亡くなったのは彼が5歳のとき。2年経った彼の中にもちゃんとおばあちゃんがいることがうれしくて、なんだかとっても義母が恋しくなって、ぴいすとめそめそしてしまいました。

そして、欠けたお茶碗からぴいすは以下の二つの事を学んだそうです。
いつもママに言われるように椅子の真ん中にちゃんと座ること。
ものは大切にすること。


ぴいすを寝かしつけたそのすぐあと、偶然にもお友達からとっても暖かいお話のメールが届きました。

An elderly Chinese woman had two large pots, each hung on the ends of a pole which she carried across her neck. One of the pots had a crack in it while the other pot was perfect and always delivered a full portion of water. At the end of the long walks from the stream to the house, the cracked pot arrived only half full.

For a full two years this went on daily, with the woman bringing home only one and a half pots of water. Of course, the perfect pot was proud of its accomplishments. But the poor cracked pot was ashamed of its own imperfection, and miserable that it could only do half of what it had been made to do.

After two years of what it perceived to be bitter failure, it spoke to the woman one day by the stream.
'I am ashamed of myself, because this crack in my side causes water to leak out all the way back to your house.'
The old woman smiled, 'Did you notice that there are flowers on your side of the path, but not on the other pot's side?'
'That's because I have always known about your flaw, so I planted flower seeds on your side of the path, and every day while we walk back, you water them.'
For two years I have been able to pick these beautiful flowers to decorate the table. Without you being just the way you are, there would not be this beauty to grace the house.'

Each of us has our own unique flaw. But it's the cracks and flaws we each have that make our lives together so very interesting and rewarding.
You've just got to take each person for what they are and look for the good in them.

So, to all of my cracked pot friends, I love you just the way you are.
Have a great day and remember to smell the flowers on your side of the path!

偶然にも同じときに欠けた茶碗と欠けた壺のお話が重なりました。
なんだか不思議で温かい気持ちになりました。

Photo-0026_20100624004448.jpg

テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

雑多な写真

ベトナムの自由研究で燃え尽き、すっかりブログから遠のいていました。
その間にたまっていた画像を一気にご紹介します。
まずは、中国の春節(旧正月)の様子を2枚。

Photo-0002_20100315225524.jpg 中信広場/Citic plaza(wikiリンク)
広州の中心部のランドマークのビルの旧正月のイルミネーションです。
このビルは391mあり、ちょっと前まで広州で一番高いビルでした。
現在は440mの西塔が出来たことで、広州一位の座を抜かれてしまいました。

Photo-0008_20100315225524.jpg
典型的な旧正月のデコレーションです。
左右にどーんとあるのは蜜柑が鈴なりになった木。富を象徴しています。
長い時と場所を超えこの伝統が日本に到り、門松になったのでしょうか。

ちなみにこのビルは荔湾広場といい、アクセサリーの巨大卸市場です。
翡翠・ビーズ・真珠等、なんでもござれ。
巨大な建物の中は同業の小さな商店で埋め尽くされています。
なんで先日ココへ行ったかと言うと、、、、
息子達が自分のお小遣いで真珠を買うためでした。
さらにその翌週、偶然友達に聞いたところによると、
ここは霊的によくないんだそうです。
過去に複数回転落事故があったとか、行くと足が重くなるとか。。。
中国は、日本よりもこんなおどろおどろしい話がより多く、
よりまことしやかに語られているような気がします。

Photo-0004_20100315225524.jpg
これは上記の市場の付近の子供病院の前の横断歩道。
風船売りのおばちゃんが容赦なく差し出してくる風船をかいくぐって道路を渡ります。
なんか、ベトナムの観光客向け風船売りと違った気の抜け方が面白かったです。


さらに、月曜には仏山という焼き物の有名なところに行ってきました。
お皿や陶器の人形、花瓶にガーデン用品など、ありとあらゆる焼き物が集結しています。

Photo-0020_20100315225523.jpg

ちょっと素敵なお店のたたずまい。
そして、そこで見つけたピカイチの急須はこちら!



Photo-0021.jpg NBA Basketball・・・・

越南 忘れてはいけないこと

ベトナムは共産党の支配する社会主義国です。現在の形に落ち着くまでには沢山の辛い日々がありました。

彼の国は古代には中国に支配され、近代にはフランスに支配された歴史を持ちます。その後8年に及ぶフランスとの戦争によって自由を勝ち得たかと思いきや、ベトナム戦争が勃発したのでした。この戦争はベトナムの人々の民族闘争ばかりでなく、当時のアメリカ対ソ連の冷戦の代理戦争の様相も呈しました。一般的にはアメリカの侵略戦争という認識が強いのではないでしょうか。(日本もアメリカにお金を出し基地を提供したことでこの戦争に関わっています)

ベトナム戦争は、動員兵力、死傷者数、航空機の損失、使用弾薬量、戦費では第一次大戦のそれを上回り、使用弾薬量、投下爆弾量では第二次大戦のそれをはるかに超えた、史上最大の破壊戦争だったのだそうです。(参考リンク

1975年アメリカ軍が撤退、しかし1979年には越中戦争が勃発。これは1ヶ月後中国の撤退によって終わりましたが、両国の国境間の紛争は1989年まで続きました。

1992年には中国との関係が正常化し、1995年にアメリカと和解、2007年にWTOに正式加入、国連の非常任理事国に初選出されました。

日本は1945年に終戦を迎えましたが、それからさらに40年程もベトナムは無惨な戦乱の時を生き抜いて来たのでした。今が正に彼らの戦後であると言っても過言ではないでしょう。

今回、子供たちには刺激が強すぎるかと思い戦争証跡博物館へは行きませんでしたが、そのような戦争の傷跡を残すものが街中に珍しくありません。

DSC01602.jpg 統一会堂/The Reunification Palace の庭にて

ダナンの空港からホイアン地区のホテルに向かう道すがら、のどかに牛とヤギが憩う野原の中に、所々、異質な黒く細長い筒が設置されており、よく見ればそれらは飛行機を撃ち落とすための高射砲なのでした。


バイクが多く排気ガスの汚染が深刻と言いつつも、青い空の清々しい国です。ベトナム最大の都市ホーチミン市でも、少し車を走らせればそこはすぐ郊外、空き地が広がり開発の余地を大いに感じさせます。街中を行き交う乗り物はバイクが圧倒的多数ですし、走る車を見れば高級車はまだ少なく、観光地やホテルにいる客はほぼ全てが外国人、つまり国内観光をする余裕のあるベトナム人はまだ少ないということでしょう。

彼らは逞しく、微笑みがシャイで優しく、そしてしなやかで柔軟です。1台のバイクに家族4人乗りは当たり前(5人乗りは見ませんでした。禁止されてるのかな?それとも単に不可能なだけ?)。さらに驚いたことに、街では自国の通貨ドンと並行してアメリカドルを流通させているのです。アメリカからの観光客も数多く、多くの人々が英語を話します。(nとgを多様に含む独特のアクセントがあるので難解ではありますが)旅をする身には便利でありがたいですが、アメリカ軍がベトナムにもたらした多くの損害を考えると、こちらの方がなんとも不思議な気持ちになってしまいました。


ベトナム語は、よそ者のわたしには広東語と似た響きに聞こえます。わたしは広州生活のおかげで、相手がアジア人だと中国語(普通語/マンダリン)を話す癖がついてしまい、いろんなシチュエーションで使ってみましたがほぼ全滅でした。(前記事の華僑の会館のみ有効)あちこちに飾られた旧正月の飾りには『新年快楽恭喜発財』なんて書いてあるのに~。
そして、彼らの言語文化を決定的に中国から切り離しているのは、文字です。ベトナムには元々漢字と独自の文字を組み合わせた難解な表記法があったそうなのですが、限られた知識層しか使いこなせなかったため、植民地時代、読み書きを簡潔にするためにフランス人たちによって導入された発音記号とアルファベットが現在でも使用されており、それがアジアでありながら西洋の香りを感じさせる不思議な魅力の一助ともなっています。


余談ですが、中国人が持つベトナムの印象について。ここ広州で中国人に春節(旧正月)の予定を聞かれ、越南(ベトナム)と答えると、みな一様にぱっとしない反応をしました。彼らの感覚では、越南は自分たちよりも格下と見なしているため、観光で訪れる魅力を持つ国という認識が薄いようでした。それとも、みんな越中戦争や国境間紛争から良いイメージがないのかな?

越南 ダナンへ

ダナンに飛行機で着いてから主にしたことは、プールサイドでボケボケです。ホイアン地区のSandy Beach Resortという4つ星ホテルのバンガローに泊まりました。名前の通り美しいサンドビーチがあるというのになぜプールでボケボケなのか、その理由は、

DSC01867.jpg

すんごい外海で波が荒れ狂っているのです。。。
子供たち+パパは砂遊びを満喫して蟹と戯れていました。わたしはこの4日間のおかげで京極夏彦の『邪魅の雫』を読了しました。面白かった~

合間、半日観光をしました。ホイアンのダウンタウンは古くから栄えた港町で、鎖国前は日本人街もあった異国情緒あふれる町並みで世界遺産に登録されています。ここの観光名所は Japanese Bridge(日本橋)、その昔日本人によって建設されたと言う言い伝えがある頑丈な橋です。

DSC01725.jpg

提灯の脱力系メッセージ「ファイフォ」は、ホイアンの古来の呼び名だそう。。

DSC01735.jpg お坊さんも日本橋を観光


DSC01809.jpg 潮州会館

華僑の建造物はことのほか見事でした。もともと立派な上に、現在もきちんと維持されているのです。敷地の奥へ進むと大きな会場で催しが行われており、そこだけザ・チャイナ、参加者は見たところ中国人でした。トイレを借りようと給仕のベトナム人に英語で話しかけたところ通じず、中国語に切り替えたところすぐ通じたのが面白かったです。世界の中華パワーを実感しました。

このホイアン地区は、ダウンタウン全体が壮大な観光名所といった風情でして、通りは観光の外国人で溢れています。そして、ホイアンの人々の外国人に対する商魂は非常に逞しいです。

Crispy noodleが美味だったCargoというレストラン前にて、ふと、眼を離したスキに、、、

DSC01755.jpg

ししがバナナ売りのおばあちゃんから籠を持たされていました。。。
もちろん、この後「ユー ピクチャー マネー マネー!!」とおばあちゃんにせびられる訳で、広州での普段のわたしだったら断固バナナの籠をおばあちゃんにお返ししているところですが、せっかくなので観光客という役割にハマってみました。だって、この困惑したししの顔とポーズを撮りたかったんだもん!

Who?

ししはは

Author:ししはは
日々、チャイナをパパラッチしたゆかいな写真や、おもしろかったこと、話し足りなかったことを綴って、だれかとシェアしたいのです。

もともとは、下のリンクにある旧ブログからお引っ越ししてきたのですが、中国国内からFc2ブログへのアクセスがブロックされているため、当分はこちらのブログはお休みして旧ブログにて更新をしています。あしからず~

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